精神分析

自分の日記ですので、思ったようにコメントしていきます。コメントすることに意味があるかなんて考えても仕方ないので。後から自分自身を振り返るために記述しているのだから、その瞬間を残すことに意味があると思うので。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

少年期の頃に自分の父を含めて5年ぐらい続けて親族が亡くなって葬式が続いたこともあり、他人の死には非常に鈍感であると自己分析しています。偉そうに表現すれば達観しているのかも知れません、死んでしまえば皆同じお終いと。不慮の死や若くしてという葬儀も出ていないわけではないのですが、人が悲しむように悲しめないものがあります。たしか父のときでさえ泣いた記憶もありませんし、身内が亡くなっても泣くことはないような気がします。
今回村上恵梨さんの死で、何か心を揺さぶられるものがありました。それだから返信を記述しようと思ったのだと思います。26歳での死ですから無念なことは多々あったかと想像はつくのですが、それが理由で揺さぶられるというわけではないので。確かに関わりがなかったわけではありませんが、一ファンとして多少縁があった程度なのに、なぜここまでなのか?
とここまで記述して理由らしきものが浮かんできました。ドラマでは泣くことができる人なので、現実感が強いと先に現実を優先してしまうみたいですね。今回は現実の死に直面していない、そして自分がファンであるということから、揺さぶられるものがあったようです。
自分自身はと言えば、自身の死に対しては異常なほどの恐怖心を持っています。たぶん自分が生きた証を残せない、自分が無となるという二点が原因で。現実感がないからこそ、生きた証をどう残したのかということに心が揺さぶられたのでしょう。だとすればファンであり続けることが、自分自身の根本にも沿った弔い方なのかもしれません。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

心から哀悼の意を捧げます。

7月8日が来るたびに思い出すのだろうなあ